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悲しい日中、人間模様

2004年9月1日

宇佐美 保

 

 先ず、7月31日の朝日新聞の「アジア杯サッカー場、露骨な「反日」……」の記事から、一部抜粋させて頂きます。

 

中国・重慶で開催中のサッカー・アジアカップで、地元市民の反日感情が日本チームにぶつけられている。31日の準々決勝のヨルダン戦でも、勝利を喜ぶ日本人サポーターに罵声(ばせい)やゴミが投げつけられた。過去の戦争など歴史問題やインターネット上に反日的な書き込みが相次いでいることが背景にあるとみられるが、中国メディアがファンの暴走を批判するなど、中央政府も08年の北京五輪の開催を控えて神経をとがらせている。

……

 一方、29日付の中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」は一連の反日行為についてこうした『愛国』には誰も喝采(かっさい)しない」との見出しの記事を掲載、「スポーツと政治を混同するな」と指摘した。「市民の不満は、主に日本の右翼勢力の劣悪な行為のため」「行き過ぎた民族感情のなかで報復の快感を味わったかもしれないが、スポーツの尊厳を損ない、本来の意義を失わせる」とした。……

 

 そして、毎日新聞(8月7日付け)には、石原氏の次なる発言まで載っていました。

 

 中国で開催中のサッカー・アジア杯で、中国人観客が反日感情を噴出させている問題で、東京都の石原慎太郎知事は6日の記者会見で、「民度が低いんだからしょうがないね」と不快感をあらわにした。さらに「ああいう独裁政権というものは自分を維持するためには仮想の敵を作らなくてはいけない。それが日本ということになっている」との見解を示した。

……

 

 その上に、週刊文春(2004.8.26号)のコラム「新聞不信 お粗末、「朝日」のアジアカップ評」を読み私はがっかりしてしまいました。

以下にその全文を掲載させて頂きます。

 

 重慶、済南、北京のアジア杯サッカーで二度三度と繰り返された、耳をつんざく反日ブーイング。あれは日本人に最も分かりやすい形で、中国人がいかに粗末な民族であるかを見せた

 中国外務省報道官が言うように、また「朝日新聞」が報じるような、あれは「一部の者」や「少数の心ない観客」の狂態ではない。日本がボールを持つと一斉のブーイング、相手に渡るとヨルダン、ヨルダンの大合唱。たかがサッカーではない。われわれは中国の「愛国」がいかに固く「反日」と結びついているかを、まぎまぎと見た。

「日中友好」は日本の側だけにあって、中国にはない

「朝日」は八月五日の社説で、みっともなくも中国のために釈明を買って出た。

 まずサッカー場での騒ぎは、よくあることだ。目クジラ立てるのは大人げない云々。

「アジア人民にお詫びせよ」など政治的スローガンが持ち込まれたのは嘆かわしいが、日本側も過去の中国侵略、小泉首相の靖国参拝、観光客による集団買春など、いろいろ中国人の感情を逆なですることをしている。そういう行為を知っているかどうかで、騒動への見方が変わってくると「朝日」は言う

 何というネジ曲げた論理だろう。サッカー場で罵倒されたら、同胞の買春を思い出さねばならないのか? はばかりながち売春は、売る者がいて買う者が現れる商売である。それを謝るのか?

「スタンドの『反日』をいたずらに過大現することは賢明ではない。むしろ考えるべきは、なぜ日本が標的として使われやすいかだ」が「朝日」社説の結論だった。

 なぜ日本が標的になるか?

やられたら「朝日」が出てきて「仰るとおりでございます」と恐れ入るからだ。「朝日」にとって中国人の愛国心は自然な感情だが、日本人の愛国心は悪い。

 イチローが打席に立ったとき、シアトルの観客は真珠湾奇襲を思い出して野次るか?

度量ある大国民と浅薄な十三億の差は明らかだ

 日本のオッサンらが、何も知らない中国の処女を集団で犯したというなら、なるほど悪い。ちょうど甲子園の高校野球は朝日の主催だ。閉会式の国歌吹奏時に、みんなでブーイングしたらどうか。(滝)

 

 ところが、8月7日の朝日ニュースター「パックインジャーナル」に於ける、東海大学教授の葉千栄氏発言に感銘を受けました。

(括弧内にて、一部私が補足している部分があります。)

 

日本とタイの試合を見て、スカイパーフェクトテレビの自分の番組中にて、“中国人として大変恥ずかしい、国の恥です”とはっきり言った

そのあと、在日中国人の方から沢山メールが来て、全く同感だと、先ずどんな理由があっても、日本の一般市民であるサポーター選手に対して、あのような行動は間違っています。

又、君が代日の丸に対して色々の思いがあったとしても、スポーツの試合の場においては、よその国の国歌国旗に対して敬意を持つべきです。

これはルールですマナーです。

ですから、はっきり云って失礼です。

私自分自身はいつも中国のサッカーチームを応援していますけれども、今回日本の選手が帰ってくるとき迎えに行きたい気持ちがあります。

お世話様でしたと、済みませんでしたと云いたいです。

だけどもう一つ云いたいのは、背景原因を一緒に考えなければいけない

……

背景は一体何なのか?

中国政府がやらせたのか?

石原慎太郎と知事の発言を見ると、“中国の地方都市では、入場料を払えない人が少なくない。それはつまりあれだけの人が、入場料を貰ってきているんでしょう”観客は組織的に動員されていると,で又、“中国共産党は、文化大革命で死んだ3000万人を戦争中日本軍が殺したという馬鹿な新しい伝説を作りつつある”これは又、文化大革命で3000万人心だというデータが何処から出たか知りませんが、自分お目で経験した世代ですから、ずっと見てきました酷いものでした。

日中戦争と文化革命は30年もの時間差(40年代の話と70年代の話)がありますから、中国共産党がこんな伝説を作っても誰も信じませんよ。

 

インターネット、地方紙、スポーツ紙の普及によって、日本の政治家が何かしゃべると、2,3時間後、中国で報道される

人民日報や、新華社ではありません。

そうすると段々段々お互いの国民が相手に対して、被害妄想或いは、大変嫌いと(との感情を持ち始める)、本当は、そもそも少数の政治家の言動対するものなのに、いつの間にか、お互いの国民に対する(憎悪へと変質して行く)、相手は我々を国民民族全員をバカにしているのだ。この増幅が良くない。……

……

小泉氏の靖国参拝が関係ないのではなく大いに関係あります

過去には、愛国主義教育はかなりやった、その時でさえ、日本チームとの対戦の際、今回のようなことは一切なかった

一番この様に日本に敵対的な感情を持ち始めたのは、小泉政権が誕生してから、靖国神社参拝は大きな切っ掛け。

日本の政治家の発言が中国に一方的に伝えられると、中国国民は「なめられている!」と感じる。

又、中国メディア、日本に来ているメディアは、政府メディアしか来ていない。

この5〜6人の東京特配員の書いた記事が13億人の中国の日本に対するイメージを作ることになる

だから、彼等が日本をどのように書くか?

若し、彼等が自衛隊、憲法改正、有事法制だけを書くなら、当然中国人はもうあの国は怖い国、軍国主義の復活だと思ってします

それは私は中国人として、中国人自身が反省すべき点です

日本側の問題は、私は云いたくないです

相手の国のせいにしたくないです。

これは日本人が自分で云うべき事です。

互いの国が、そういう自覚を持つと良くなります。

 

今回の問題を契機に、中国側の直すべき点は、言論報道のバランス感覚、複眼的に日本を報道すべき、政府も民間のメディアも80年代、90年代の前半迄までは、日中の報道は相手の良いことを多めに報道してきた。

 

この様になってしまったのはこの3年間です。……

 

 葉教授は、日本人である私が悲しくなる、次のような残念な事実も伝えてくれました。

 

政府はマスメディアに対する規制は極めて厳しい、日本に対する批判だけが、唯一批判出来るエリアなのです。共産党への批判は出来ないので、日本だけ批判出来る。そして、日本に対する批判に対する批判は云いにくい、即ち、「売国奴」の声が返ってくる、私のしょっちゅう云われている

でも、悲しいのは、中国のサッカーファンの行動を批判しながら、(私は)発言したにも拘わらず、私の勤めている東海大学には、多くの日本人からの抗議電話が殺到した

東海大学は国賊だ!」と、「何故こんな中国人雇う!」と、更には、普段この番組出ているお陰で、日本のヤフー等の掲示板御覧になったら判りますが、毎日「シナの豚」といっているホームページがずっとありますよ。これは、日中間の市民の間に、この2〜3年間ずっと存在している現象なのです

 

 石原都知事の

民度が低いんだからしょうがないね」

の発言も、週刊文春の(滝)氏の、

中国人がいかに粗末な民族であるかを見せた

の見解も、これでは当然ながら、日本国民にも向けなくてはいけないでしょう。

 

そして、パックインジャーナルの番組中、AERAの田岡俊治氏は、

“中国の諺では「他山の石」、日本の諺では「他人のふり見て我がふり直せ」だ”

と発言されていました。

私も同感です。

 

私達は、もっと自分自身を見詰め直すことが必要ではありませんか?

私自身の反省は、拙文『私が60年安保闘争で学んだ事』にも書きましたが、マスコミや、身の回りのものが、安保反対!」と唱えていただけで、私自身は、その安保の中身を全く知らずに、“みんなが反対しているんだから、安保は悪である”と思い込んで、国会周辺のデモに参加したのでした。
ですから、私が現在中国人で、重慶などに居たら、恥ずかしながら、日本チームに対して、ブーイングを浴びせていたかもしれません。

 

 更には、10年程前の都知事選で、江戸っ子の欠点を十二分に発揮してしまった青島氏に一票を投じて、今もって友人達に、“お前は愚かだ”と罵られています。

 

 私は、自らの反省も込めて、江戸っ子(東京人)の欠点(或る方はこれを長所と見なすかもしれませんが)は見栄っ張りにあると思っています。

 

 なにしろ、青島氏は、都議会で、二つ程「カタカナ名の施設?」(確かその一つは、ハローワークでしたかしら?)の意味を問われて答えられずに、面目を失い、その後は、「借りてきた猫的存在」に落ちぶれてしまったのですから。

(見栄を張らずに、“私は不勉強の為判りません!今後宜しくご教授願います”と云って堂々としていれば良かったのです。)

 

更に致命的だった点は、朝日新聞(1995年05月12日)の次なる記事に見られます。

 

 激しいヤジが飛びかう中、青島幸男・東京都知事は十一日の臨時都議会で、議会側との初めての論戦にのぞんだ。「政党の談合」を批判し、一切の政党支持を受けずに当選した初の知事だけに、議会側の姿勢は厳しい。全会派が質問に立ち、青島知事が中止を打ち出した世界都市博覧会の問題を中心に、知事の姿勢を糾弾する質問が相次いだ。ともに立場を譲らない知事と都議会。それぞれの威信をかけた論戦は、十二日以降も世界都市博等特別委員会に舞台を移して続く。……

 しかし、知事答弁は「都市博構想はバブルの最盛期に計画されたものであり、都民の望むものとは考えにくく……」。都庁職員が準備した答弁を単純に繰り返すだけで、議論はかみ合わない。そのたびに「自分の言葉でしゃべれ」と、ヤジが飛び、議員が机をたたく。

 鈴木都政時代にはめったになかった「再質問」も飛び出し、民社・コア東京の議員が「公約がそれほど大事なら、参院選に出たときの公約を答えて欲しい」と迫った。知事が「突然のご質問なので」と答えに窮すると、再び壇上に立ち、「みなさん、これが青島知事の公約です。公約が大事なら自分の公約をなぜ忘れる」と声をあららげ、演台をドンとたたき、「言い訳知事と呼ばせて頂きます」。

……

 

 全く惨めです。

世界都市博覧会中止」を公約として当選したのであるから、公約の実行を最大の武器として「世界都市博覧会中止」を実行しようとしている矢先のことですから、惨めも惨めです。

その後の青島都政は、……惨め惨めでした。

(それでも、私は、友人達に言い訳を捏ねています。

“本来、私は大前研一郎氏に投票する積もりだったが、大前氏が投票前に、青島氏と岩国氏(でしたかしら)と3人で予備選をやろう” と発言されていました。

そして、新聞の世論調査では、青島氏がトップでしたので、「これが予備選」と自己判断して、青島氏に投票したんだ“と、でも誰もそんな言い分を真に受けてはくれません。)

 そして、又最近も友人に非難されています。

なにしろ、小泉首相登場の際は、彼に大いなる期待を抱いてしまっていたのですから。

 

 この様な反省を込めて、常々自分の見解を、より客観的に判断するよう努めてはいますが、なかなか難しいものです。

 

 ところが、葉氏の先の大事な発言

 

それは私は中国人として、中国人自身が反省すべき点です

日本側の問題は、私は云いたくないです

相手の国のせいにしたくないです。

これは日本人が自分で云うべき事です。

互いの国が、そういう自覚を持つと良くなります。」

 

を受けて、悲しいことに、中林美恵子氏は、次のように発言しました。

 

これは中国の国内問題だと思います

日本がどうこうしたから、例えば、小泉さんが靖国に行ったのが最大の理由ではなくて、非常に中国の国内的な問題であって、最近中国では大学を卒業しても、なかなか就職出来ない人がいる、都会と田舎では貧富の差が激しい、色んな所で政府に対する不満もあるのに、それを発散出来ない、中国の中の問題であるべきで、それを日本人が認識すれば、必ずしも中国を敵に回すような発言をする必要はないですし、中国の国内が更に良くなるように他の部分で発言が認められるようになれば良い。

 

 悲しい事です。

先の週間文春の(滝)氏は、次のような事を書かれていました。

 

はばかりながち売春は、売る者がいて買う者が現れる商売である

 

 今回の中国国民のブーイング問題も同じだと思います。

鐘があっても、鐘だけではならないのです。

鐘が鳴るのは鐘突棒があってこそなのです。

 

朝日新聞アジアネットワーク(8月14日付け)を見ると、上海・華東師範大学客員教授禹守根氏による次の記事がありました。

http://www.asahi.com/international/aan/column/040814.html)

……

「すでに運命共同体」(日本の財界指導者)と言われるほど緊密な段階に来た日中の経済関係だが、重慶、済南、北京と熱戦が続いたアジア杯サッカーでの激しい「反日」ブーイングはつい忘れがちな両国間に横たわる亀裂を見せつけた。

7月初め、上海の食堂でこんな光景に出くわした
店のテレビは、南京にある旧日本軍の従軍慰安婦施設の撤去をめぐる番組を流していた。その一幕に、
靖国参拝をする小泉首相の硬い表情が映し出されると突然、客たちが口々に小泉首相をののしり始めた

アジア杯での騒動を「反日教育の結果」と批判する永田町は気付いていないようだが、中国大衆の対日感情の悪化は深刻だ。ささいなことが日中関係に打撃を与えかねない。

陳潔華(チェン・チエファ)・華東師範大学教授は「経済は『熱』、政治は『冷』。国民感情はすでに日本と『戦争中』」とまで指摘する。

日中の政治関係は「異常」が続いている。東アジア共同体構想や北朝鮮の核問題が大事な時期というのに、日中首脳の往来は01年10月の小泉首相訪中以降ないままだ。

中国の外交当局は会談を首脳部に進言しているが、靖国問題があって、大衆の反発を恐れる首脳部は聞こうともしないと陳教授。

参拝にこだわり、反日の火に油を注ぐ姿勢は指導者として唯我独尊のそしりを免れないだろう。

日本と中国のビジネスマン約200人を対象に日本の新聞が最近行ったアンケートがある。今後最も関係を強化していくべき国として、日本人は、43%が中国、21%が東南アジア諸国連合(ASEAN)、19%が米国をあげた。しかし、中国人は米国の31%、ロシアの24%、ASEANの23%が上位で、日本は4%にとどまったという。

日本政府自らの「改善」への期待が薄れ、「熱」であるはずの経済関係者の間でも日本離れが表れてきた兆しなのだろうか。

 

 やはり、今回の問題は、中国だけの問題ではなく、小泉靖国参拝に代表される日本の問題が絡んでいることは明らかでしょう。

(鐘突棒をブンブン振り回しておいて、“鐘突棒だけでは鐘は鳴らない!”との態度をとり続けるのは、如何なものでしょうか!?)

 

 私は今、『昭和史』(半藤一利著:平凡社発行)を読んでいる最中ですがその中に、次のような記述がありました。

 

六月二十七日、発表は八月十七日ですが、中村震太郎大尉という人が、スパイ容疑で中国軍に殺される事件が起きました。さらに七月二日、満州で中国の農民と朝鮮人農民が衝突する万宝山事件が起きました。これでますます国民感情も猛りだしてゆきます。……

 そしてこの事態を一番憂慮していたのは昭和天皇であり、さきほどの宮中グループでした。

……

 ところが、軍部はこれら反対論を屁とも思わず、ますます陰謀の傾向を強めていきます。宮中グループは軍部を改めてガツンと抑えなくては、と九月十一日、天皇が南陸軍大臣を再度呼びつけ厳しく注意します万宝山事件といい、中村大尉事件といい、まことに困ったことであるが複雑な事情もあろう、よくそれを究明しなければならないすべて非は向こうにある、という態度で臨んでいては円満な解決はできない。とにかく軍規を厳重に守るように、明治天皇のつくった軍隊に間違いが起こつては申し訳ない、と申し渡しました。

……

 

 この昭和天皇のお言葉の如くに、何事も「すべて非は向こうにある、という態度で臨んでいては円満な解決はできない」のだと思います。

 

 石原氏の、

民度が低いんだからしょうがないね」

の発言も、週間文春の(滝)氏の記述、

「中国人がいかに粗末な民族であるか」

も余りに一方的な見解です。

更に、週間文春の(滝)氏の記述

「イチローが打席に立ったとき、シアトルの観客は真珠湾奇襲を思い出して野次るか?度量ある大国民と浅薄な十三億の差は明らかだ

に反論しますが、先の大戦中、私達の同胞の日系人達11万人は、“ジャップ”と罵られ、収容所に隔離されました。

ところが、同じ敵国人であるドイツ人にイタリア人に対してはそのような処置はとられませんでした。

 

 そして、ご存知のように米国は、日本に原爆を落としました、東京にも空爆を行いました、更には、ヴェトナム、イラク等で虐待行為を行い、行っています。

勿論、我が日本人も、先の大戦中には虐待行為を行いました。

そして、中国人とて、歴史を紐解けば随分残虐な行為を行っています。

何処の国民が、「民度が低い」とか、「粗末な民族だ」とか云うのは、己を頬被りし過ぎているのではないでしょうか?!

(石原氏ご自身も、奥様以外の方に、お子様をお授けになさって、週刊誌などに“20年前のことで、私にとって若気の至りというか、私の不徳というか。”と答弁されています。)

 人間の本性は、何処の国民だろうが誰であろうが、悲しいことに余り立派なものではないようです。

 

 従いまして、他人の、又、他国民の欠点、至らなさを論っていては、泥仕合になるだけです。

改めて、昭和天皇のお言葉の如く、何事も「すべて非は向こうにある、という態度で臨んでいては円満な解決はできない」のだと思います。

 

 ですからこそ、葉氏の「先ず、自国民の至らなさを恥じ、反省し、他国民の至らなさを論うことなく、他国民の至らなさを他国民自身の判断に委ねる」態度、言動は、立派だと思うのです。

それに引き替え、中林氏のように、今回の問題の原因を全て中国側に押し付けてしまう態度には失望しました。

 

そして、「葉氏のような方々が、世界の各国に出現して行くことで、新しい世界が開けてくるのではないか?」と私は期待しているのです。

(そして、私自身も、葉氏のような言動態度を少しでも見習いたいと念じているのです。)

 

 

 

(補足:1)

 

 葉氏の前掲のメディアの責任問題に対する発言(以下に再度引用致します)は、大変重要です。

 

中国メディア、日本に来ているメディアは、政府メディアしか来ていない。この5〜6人の東京特配員の書いた記事が13億人の中国の日本に対するイメージを作ることになる

だから、彼等が日本をどのように書くか?

若し、彼等が自衛隊、憲法改正、有事法制だけを書くなら、当然中国人はもうあの国は怖い国、軍国主義の復活だと思ってします。」

 

 葉氏は次の発言もしていました。

(この事実などは、偏向するメディアの危険性の例として考えられます。)

 

昨夜、香港のフェニックステレビ(中国全土で放送されている、香港のニュース専門チャンネル、CNN見たいに全世界、特に北米ヨーロッパでも放映されている)から、夜10時のニュースに、広島の話で電話インタビューを受けた。

(彼の言い分は)“小泉が出席した、日本は、又、わざと被害者として小泉は演出している”と、そこで私は云いました。

“このイベントは小泉主催ではありません。自民党主催でもないです、これ広島の被爆者の犠牲者達と、広島人非政府。自民党から共産党皆参加しに行くだけなのです”だから、非事実的な発言はしませんと断った。

なのに、又、(彼から)2時間後電話が掛かってきた。

 

“やはり取り上げたい!”と、そこで私、彼に批判しました、“取り上げるなら、サッカーの問題について、チャンと分析しなさい、明日試合なのに、何故この事を報道しないのですか!”と、更に、“香港のデモを何故報道しないのですか!あんたのビルの下で起こったではありませんか!”と。

云いたいのはこういうメディアの存在が影響を与えている。

 

 このメディアの恐ろしさに関して、先の『昭和史』(半藤一利著:平凡社発行)も次のような記述があります。

 

 昭和六年二九三こ九月十八日に起きた満州事変で日本国内も戦争気運が昂まってがたがた動くなか、関東軍、つまり事変を起こした張本人たちが十月二日に参謀本部に集まって、密かに「満蒙問題解決案」を決めます。これはほぼ石原莞爾が作ったもので、

 「方針――満蒙ヲ独立国トシ我保護ノ下ニ置キ、在満蒙各民族ノ平等ナル発展ヲ期ス」

 という内容です。……

この方略でうまく国民をリードするには、例によって新聞を使うことです。彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました

……

 

……「この全国民の応援」を軍部が受けるようになるまで、くり返しますが、新聞の果たした役割はあまりにも大きかった。世論操縦に積極的な軍部以上に、朝日、毎日の大新聞を先頭に、マスコミは競って世論の先取りに狂奔し、かつ熱心きわまりなかったんです。そして満州国独立案、関東軍の猛進撃、国連の抗議などと新生面が開かれるたびに、新聞は軍部の動きを全面的にバックアップしていき、民衆はそれらに煽られてまたたく間に好戦的になっていく。それは雑誌「改造」(昭和六年十一月号)で評論家の阿部慎吾が説くように、「各紙とも軍部側の純然たる宣伝機関と化したといっても大過なかろう」という情況であったんです。マスコミと一体化した国民的熱狂というものがどんなにか恐ろしいものであることか、ということなんです。

 

 マスコミ関係者は、拡販競争に邁進することなく、どうか、この様な過去の事実を心に刻み込み、行動して頂きたいものです。

 

 

(補足:2)

 

 葉氏と同席された、テレビ朝日の川村氏は、次のような発言(正確な文言は忘れましたが)をされていました。

中国では「愛国無罪」の言葉が闊歩していて、天安門事件でも、「動乱だ!」と非難されても、首謀者達は「愛国無罪」で押し通していた。

 

しかし、私は、この「愛国無罪」なる言葉を大変奇異に感じました。

自らの行動言動が「国を愛する為(愛国)」であるなら、「無罪」に固執する必要はないのではなかろうかと思うのです。

たとえ、有罪で、命を落とすこととなろうが、自分の行動言動が国を愛する為と信ずるならば、自分の信念を貫き通すのが「真の愛国者」ではないのでしょうか?!

初めから、愛国者なんだから無罪だと云って行動するのでは、なんだかおかしく思えます。

 

(勿論、私は、「真の愛国者」ならば、自国だけを愛する以上に、全世界を愛して欲しいと思ってます。)

 

 

(補足:3)

 靖国問題に関してAERAの田岡氏は、パックインジャーナルの番組中、次のように発言されていました。

 

 

中曽根元総理も発言しているけれども、靖国神社が、A級戦犯を、分祀すれば、問題が解決するのに!

 

 でも、おかしくありませんか?!

田岡氏の所属していた朝日新聞も、しきりにA級戦犯たる東条英機氏に対して、戦争の開始を煽ったのではありませんか?!

そして、私達日本国民も!

戦犯という意味では、新聞社の方々も、日本国民も同じではありませんか?!

更には、戦犯の方々以外に、今回の戦争で亡くなった方々も、A級戦犯たる東条英機氏たちと心を合わせて戦ったのではないのですか!?

 

 日中間の問題解決の為に、(戦場で亡くなられたのではないからとこじつけても)靖国神社から戦犯の方々を分祀するというのでは、亡くなった方々の魂をお祀りする趣旨から逸脱してしまうのではありませんか?!

A級戦犯の御遺族の方が、分祀に反対されるのは御尤もと私は存じます。

 

 靖国問題解決の為には、戦争の為に命を落とされた方々全員の為の、新たな国立の慰霊施設の建設が急務と、私は思っています。


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